ジム・ランシング 生誕109年

1月14日、昨日はJBL D130の生みの親ジェームス・バロー・ランシングの誕生日
 
私とD130の出会いは高校二年の夏休み、バイト先の若社長と仲良くなりバイト最終日に自宅に招いてもらいました、
そして彼の自室で自慢のオーディオシステムの中に出来たばかりの自作箱に収まったD130が鎮座していました、
200Lは超えていたと思えるその無塗装の巨大なBOXに圧倒され音を出す前からハードパンチを食らったように呆然と眺めていました、
 
その当時自作SPから始めたオーディオ、学生の小遣い程度では20cmフルレンジが買えるのがやっと、
幸い我が父親は日曜大工が趣味で叔父も大工であった為木工工具には不自由せずへぼな腕ながら何台かの
BOXを組んで楽しんでいました、バイトの休憩時間に若社長との雑談の中でその話をしたところ、
「ワシもこの度SPBOXを組だんや、いっぺん聞きにこえへんか。」と言うわけで訪問の運びとなりました。
 
未だ組んだばかりでツイータさえ組まれていないフルレンジの状態で掛けて貰ったカーペンターズ、トップオブジワールド
初めは高音の出ていない物足りない感じでしたがスネアドラムの生々しさと、カレンのボーカルに徐々に引き込まれて行きました、
その後JAZZピアノトリオを聞かせてもらい、若社長が「これでしか(D130)この音が出えへんのや。」と満足げに話すのでした、
私もそのルックスとサウンドが所謂トラウマとなり、就職し金を儲ける様になれば何時かは手に入れるんだと
心に誓うのでした。(笑)
 
その後中古の上物を入手しバスレフ、BLホーンBOXを自作、その当時流行のクロスオーバーなどで結婚するまで楽しんでいました、
結婚後アパート住まいの為、オーディオは中断実家に預けていたBLBOXは邪魔だと言う訳で分解しユニットのみ
実家の倉庫に預け震災、その後15年処分できず又あの音を聞きたくて一年前二号機を入手、すると二号機が
呼んだのか4530まで入手、現在レストア途中ですがトラウマ再現の為作業進行中、
 
出会いから35年、我が嫁より古く心に居座っているJBL D130サウンド
ジェームス・バロー・ランシングさんすばらしいサウンドをありがとう、
そしてD130を通じて知り合えた友の会の皆様に感謝します。